教育に求めるもの

真の教育について考える

生まれてすぐの赤ちゃんが泣いて呼吸を始めるのは原始的な本能のなせる業ですが、成長に伴いスプーンを使って食事をしたり、引き出しをあけたり、多くの所作を模倣しながら学んでいきます。
この場合、親や兄姉は教えるつもりなく教育係役になっているといえます。
しかし、よりよくスプーンを使えるように手ほどきを加えたり、引き出しをあけたら最後は閉める、といったきまりを伝えることが加わると、ひとつの教育となるのです。
読み書きそろばん、という言葉がありますが、数字や文字に対して興味を持つのは、人間の自然な姿です。
興味を持つおおよその年齢は決まっていますが、タイミングには個人差があるので、何歳であれ、興味を示したときに、年長者が寄り添い、学びをフォローしてあげられると、素直に教育関係が成り立ちます。
意図的に教え込もうとしても、一方通行の教えになり、それは真の教育の姿とは異なるのです。
教育の字が表すとおり、教えることで指導者側も成長し、教わることで学ぶ側も成長する、という交互通行の関係が理想的な教育の姿です。
義務教育の期間、一人の先生に対して、何十人という生徒がいる環境での学びが続きますが、どの生徒とも交互通行のできる指導者が理想的です。
個別指導を売りにした塾が多いのも密度の濃い交互通行教育が実践できることが理由のひとつです。
叱咤激励が心に響きあう関係が築けるのです。
このように、真の教育は共育と言い換えることができます。
共に学び、共に成長していく関係、それは、読み書きそろばんに限らず、人生すべての場面の人とのつながりの中で生まれうるのです。
親子、兄弟、友達同士、スポーツ仲間、町内会の集まり、ママサークル、などなどあげたらきりがないくらいです。
学びに貪欲であれば、いくつになっても、どんな場面でも、真の教育の楽しさ、喜びを味わえるのです。
真の教育が多くの場面で活性化すると、わが国も今よりさらに活気が溢れることでしょう。